人見知りの視点と社交的な人の視点。

今日もほとんどテレビを観るだけのダメな休日となってしまった、しかし、いいものに出会えた。

一つは、「アメトーーク」の人見知り芸人より。
企画としては、自分を人見知りと認める芸人たちが、日々の生活の中での感じていること、
してしまうことetc きっと、人見知りじゃない人には、なんで?と思うようなことばかりだったと思う。
自分としては、人見知りのど真ん中に位置するような人間なので、
ほとんどのエピソードに、共感してしまい、少しホッとしたような気分でした。


後半は、人見知りじゃない、というかすごく社交的な人間の代表として、アンタッチャブルが登場する。
彼らに人見知りを克服するためのアドバイスをいただこうというわけだ。
アドバイスは主に「ご無沙汰理論」「ホメホメテンション」で、すごく簡単に説明すると、
ご無沙汰理論とは、初対面の人でも、以前から知り合いで親しかったかのように振舞うというもので、
狙いとしては、お互い初対面で緊張してしまうのは当たり前なのだから、雰囲気を良くすることで、
お互いの緊張感を取り払い、フランクに話せるようにしようというものだ。
案外、理にかなっていると思う、実際にできるかどうかは別として。


続いて、ホメホメテンションであるが、名前はさておき、これは本当に素晴らしいものだと思う。
褒めるということで、ご無沙汰理論のように雰囲気を良く、自分を好きになってもらう、
という点では似ているとは思うのだが、それをするための考え方が面白い。
人と接するにあたり、自分は嫌われているということを考える。
だから、褒めて、好きになってもらうことが大事なことなのだと。
人見知りの人は、自分は好かれているというおごりがあるから、自分から何もしないのだと。


初めて使うような気がするが、まさに目からウロコだった、、。
人見知りの人は完全に人嫌いなわけではないのだ、本当は楽しくできるのであれば、
みんなの輪に入っていたいと思う人が実際多いと思う。
恐いから何もできずに待つ姿勢、受動的となってしまうのだ。
でも、それはおごりでしかないのかもしれない、もちろんすごく好かれていると思ってはないにしても、
誰からも嫌われてはいないと思っているのかもしれない。
嫌われていなければ、いつか、少なくとも全く誰かが声をかけてくれる、接してきてくれると。
だからといって、みんなから嫌われていると思うっていうのは極論とも捉えてしまうが、
それはあくまでコミュニケーションの手段としては、必要不可欠なことなのだと思う。
人見知りの人が、自分のからに閉じこもることは、恐いからだというのはよくわかる、自分もそうだし。
でも、それは人見知りの人に限ったことではないはず、恐いというのはコミュニケーションにおいて、
誰もが大小はあるにしても、持っているのかもしれない。
瞬時に、相手のことを100%理解できる人などいないのだから。
あくまでこれは、コミュニケーションとしての考えではあるが、でもそのもう少し先の、
色々と話すような間柄になったとしても、やはり誰からも好かれるということは不可能であり、
そのことも忘れてはならないのだろう、、。


やっぱり、人から学ぶことってのはまだまだ多いと思った。
人見知りであるということは、そういった学ぶ機会すら逃していることをまた知った。
少しずつでもいい、意識を変えてみようと思う。


と書いていたら、結構な量になってしまった。二つ目のことも書きたいところだが、
疲れた、、さっきまで「あしたのジョー2」という映画を観ていた、書きたいのもそのことだった。
忘れないうちに、また、今度書くことにしようと思う。


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