偏見だらけのタイプ分け。

あるサークルの中に所属する自分、サークルには大きく分けて3タイプの人間がいると思う。
ひとつは、空気を読まない人。
ひとつは、空気を読みすぎる人。
最後は、上の二つの間で立ち回れる人。


自分は、空気を読みすぎる人。


こういう分け方は、討論のときに明確になる。
うまく立ち回れるひとは、司会の立場であったり、提言、主張するタイミングが上手である。


自分のような空気を読みすぎる場合は周りを観察している、ここぞというタイミングも見えたりする。
でも、発言しない、というかできない、自分の発言に絶対の自信を持てないから、
発言後のイメージは悪いものしか浮かばない。


空気を読まない人は、自由である。
自分の好きなタイミングで話し、発言の影響力というか、反響を考えない。
きっと、自分の発言に絶対の自信を持ち、正しいと思う。
当然、悪いイメージなど考えていないだろう。


空気を読みすぎる人間は、普段も自己主張しない、よって全てを肯定していると見なされる。
マジメと捉えられ、うわべだけの信頼を得る、でもそれは従属にすぎない。

やがて、意見も求められなくなるだろう。


空気を読まない人(というか読めない人)は、ずば抜けたアイデア、人当たりの良さは、
すばらしいものがある。
当然、みんなの注目を浴びる。
しかし、いざ関係を深めたり、仕事に移ると違和感を覚える。
話に一貫性がなく、次々に話が変わったり、プロセスが全くなかったりするから。
周りは疲れてしまうのだ、そのうち信頼も揺らぐ。
やがて、その人の意見に対して、話半分に聞かれるだろう。


やっぱり、うまく立ち回れる人は得か?
最終的に利を得るのは、そういった人かもしれん。
でも、上の二人みたいな人間に囲まれると大変だろうな、

意見をまとめようなんてことになったら、どれだけ苦労するか。


そういう状況でも、うまくまとめる方法があるとすれば、上の二人をくっつけてしまうことだ。
対極である二つは、かなりぶつかり合うようで、意外と中和する。
二人の時は空気とか関係なくなるからだ、空気を読まない人間には、主張は通らない、
自分の考えしか頭にないから、だからこそ、好き勝手言える。
空気を読みすぎる人間にも、主張は通らない、中身の無い主張だと、すぐに見えてしまうから、
大して相手にされないが、そうされても気にしない、だからこそ、好き勝手いえる。
もちろん何も結論は出ない、そこをうまくまとめるのが立ち回るのがうまい人である。


とまぁ、こういう状況に自分がいるわけで、自分のような人間は、うまく利用されてるわけだと思う。
文句は特にない、好き勝手言える相手ってのは中々貴重だったりするから。


まー自分のような暗い人間から見た、かなり偏った見方なので、一概に正しいとは言えんのだけど、
最近、周りの考え方を聞いてるうちにまとめて見たくなった。