たまには怒られたい。

自分がこれからやろうとしていることを全力で否定されたら、どう思うだろうか?
自分は、ある時にはポジティブに変われた。


無理だ、お前には。
絶対に抜け出せなくなる。
そう言ってられるのは今だけ、半年後が楽しみ。


と、ある人に真っ向から否定された、ようやく、プラスに転じられてあとは登っていくだけって時に。
確かに現段階では何も築けていない、先はわからんし、その通りになるかもしれない。
でも転換点に立った時、人の助言などから考えたことは、思ったことを否定しないことだった、
口だけだとは思わんことだった。
だから、必死で抵抗した。
自分の中で、前の自分のから変われたこと、これからそれをやることで、生かしていけそうなこと、
すこし、日常に希望が見えてきたこと、、、。
自分の中で普段ちゃんと考えてなかった漠然としたことが、次々に言葉としてでてきた。


それでも否定される。
せっかく抜け出した、穴倉の中に再び引きずられる思いすらした。
そう考え始めたとき、何か別の景色が見え隠れし始めた。
自分にとって、顔を前に向けることは大事なことである。
しかし、良い面、きれいなところだけを見ていていいのだろうか、、、。
前まで自分は悪い面しか見てこなかった、見れなかった。
そうしたくなくても、そうするしか自分を認識できなかった、

いや、認識したくなかったから、そうしかできなかったのかも。
今は違う、良い面が見れる。
でも、それだけを見ていることは結局、前の自分と何ら変わりがない、結局、
周りが見えていないのだ、自己完結してしまって中途半端になるだけなのである。
今自分は、何対何かはわからないが、良い面と悪い面が両方見える。
大事なのは、比較することだった、、、。


今はその人に感謝したい、実際、どう考えていたのかは知らない、もしかしたら、
本当に自分を前の自分へと、引きずりこむだけだったのかもしれない。
でも、おかげで見落としそうだったことに気づけた、真っ向からぶつかってきてくれたおかげだろう、
意地になって、ポジティブに考えられるようになった。


偏った愛は周りを遮断してしまいうる、時には怒ることも必要である。
それもまた愛の表現であり、本当の意味でその人を考えているのかも。