趣味を語ることから見えるものがある。

誰かが自分の趣味について語っているのをみると、

その人の本当の心の美しさみたいなものが見えるような気がする。


特に文字だとはっきり伝わる気がする。
しかし、それも人それぞれ相性の合う媒体というものがあるから一概にはいえない。
自分にとっては、文字が伝わるものとして近しい媒体なのかも。
(他が全く伝わらないわけじゃないけど)


ある人の日記に趣味について書かれていた。
その人の文才もあるだろうけど、伝える言葉の使いわけ方でその人そのものが伝わる気がする。
やっぱり好きなものっては、人に伝えようとする気持ちが強いから、

よりはっきりその人ってのが見えるのかもしれない。


自分には趣味ってものがない、どれも一過性か中途半端。
だから、その人みたいに素直な気持ちで語れない。
結局、伝えようとしても言葉足らずであったり、不自然で人工的なものになる。
何というか、そっから見える心の美しさは心の器として見える気がする、、

心の美しい人は、キレイな器で何を注いでもきれいにはっきり見える、隠そうとしても。
自分のような人間は、いつも汚い器でキレイにみせようとしても、結局濁っていて何も見えない。


趣味の世界が実際に分からなくても、その人の心の美しさは伝わるというのがうらやましく思う。
人に分かってもらえるから、つらい部分も見えるのかもしれんが。
自分は、何かフィルターがかかっているようで、人に分かってもらえなかった、
つらい部分は見てもらいたくても見てもらえない。
趣味ってのは、心の器を磨く作業なのかもしれない。
何か一つでもいいんだよなぁ、、、。