22年ぶりに向き合えた気がする。

今、親に泣かれてしまった。
そして、自分も泣いてしまった。


どっちが悪いんだろう?
今まで、何も聞けなかった親、何も言えなかった自分。
切り出してくれたのは親、そのきっかけを与えてくれた点で、
親に感謝したい。


最近はずっと、気分がまいってた、今までずっとまいってたけど最大級に、

こういう時って、色々なこと深く考えるんだろうけど、頭がどんどん日増しに働かなくなり、
思いついては消え、思いついては消えしてた。
感情も普段からたいして波はなく、お笑いが見るのが好きで良く笑うが心の底からとはいえない。
ただ最近、異様に「愛」ってテーマについてはどうしても引っかかってしまう、
特に親子愛、、今までどうしたって見ないようにしてきた気がする、

それは自分はどうなのかを考えるのが、恥ずかしく、怖くもあったから。
気にかかるようになると、余計に辛くなった、
親から愛がないと感じれば、自分も親に対して愛などないと考えるようになる。
今まで、避けることで曖昧にしてきた部分が、近くまで寄ってきていた。
ドラマで泣くなんてことほとんどないのに、親子愛をテーマとする話に思わず泣いていた。


人付き合いが苦手で、上辺だけの付き合いすら時に必死になる。
心の底をさらけ出せる友と呼べる存在などいなかったと言える。
唯一、話せる人もいるのだが、超えられない壁というものがある。
大学に通えなくなった、一週間も。
今まで、大学生活はとてもじゃないが楽しいとは思えなかった。
部分部分では楽しくもあったのかもしれないが、人付き合い、学業など総じていうと、
そうとしか言えない。
サークル活動やバイトなどやってきた、自分の居場所が欲しかったから。
最初は楽しかったのかもしれない、でも幻想だった。
長く続ければ心の通じ合える人間も出てくると思ってた、そんなに甘くないのが現実。
結局、大した取柄もなく、積極的に交流できない自分を卑下し、他人に迷惑をかけるのが嫌で、
避け続けた。
幸いだったのは主将になれたことだった、まともにはできんかったけど、仕事をこなすことで、
何とか自分の居場所を確保できた。
今は、世代交代し、サークルには行けない。
学校に数少ない話せる人間もいる、ただ休みがちになるにしたがって、色々なことを頼りがちになり、
その人たちにもこれ以上迷惑をかけられない。
結局、大学に居場所がない、講義も今さらではあるが学びたいことではなかった、
行くことに意味はあるのか、、、単位を取るためだけに頑張ることに嫌気がさしてきたのかも。
辛さだけが目立つようになり、考える気力もなくなり、だらだらと家で過ごす。


親も限界だったらしい、聞くのが怖かったとも言っていた。
一週間も休んだことは無言の抵抗と捉えられたようだ、あながち、間違いではないかもしれんが。
話は悩みがあれば教えてほしいということが終始だった、頭では答えたくないと思っていたが、
親に泣かれ、自分も涙が止まらなくなり、口から勝手にしゃべりだしていた。
正直、自分自身何が心の中で問題でどうしていきたいのかなど、

こんがらがりすぎてもはやわからない状態だった。
解決できない状態が中学時代から永遠と続き、解決できないまま積み重ねられていた。
だから、しゃべり出したといっても、現状を話すことだけだったのだが、、。


ある程度までしゃべることで、もっとも話したかった核心に気づく、
自分と親との距離感の問題である。
今まで、干渉してこなかった、喧嘩もなければ、将来について深く話すこともなかった。
親は好きな道を選べという、言い方は悪いが自分からすれば放任主義だった。
子供の時からそうだった、年を重ねるごとに考えるようになった、なんで、

最初のレールを引いてくれないんだろうと。
最初から方向も決めずにスタートさせるってことはないのではないかと。
しかし、反面では自分自身にある程度責任ということが芽生えるころに、

自分で選択肢を設け、それを選択せずにトロトロと進んできてしまったことが、
間違いであることもわかっている。
そんなことを考えていた。


それを話すと親は、自身のことを話始める、強制される人生であったと、

そしてそれに反発する人生であったと。
子供にはそういう思いをさせたくなかったと、、。
確かに、両親の親はどちらも厳しいイメージがある、孫という立場の自分にとって、
それが薄れてしまう部分があり、子供の頃には見えなかったが。
自分としては、そういう親(自分の両親の親)に育てられ、

今、社会的に認められうような人生を歩めてることを羨ましく思った。
もっと自分も、同じように自分にぶつかってきてほしかった、

ぶつかっていかない自分にも非はあるのだろうが、、、。


今、こうして書いてる時点では、これから先どうしていくべきなのかは、全く見えない。
こうやって書き留めること自体は、改めて確認する上で大事に思う。
ただ、今までずっと抱え続けてきたものを少しおろすことができて良かった。
今後は、もっともっと軽くなれればいいなぁ、、、とただ思う。