たった一歩のことなのに、踏み出すのは難しいもんだ。

今日は、カウンセリングに行って来た。実は、二回目。
学校にある、相談所的な感じのところかなぁ。


前々から行こうとは思っていたんだけど、何となく恐くなって逃げ出していたのだが、
思いきって訪ねてみた。
初回の時は、ただひたすら、過去の経歴を話すに尽きたなぁ。
そもそも、行こうと思ったのは、まぁ、コミュニケーション能力の低さから来る不安ってことで、
自分の抱えているものを明らかにしたかったわけで。
んーまぁ、とりあえず自分のことはなんとなく把握できたわけで、少しはホッとしたのだが、
もう少し具体的なものを調べるためのテストがあるというので、今日、してきたわけだ。


んー不思議なテストだった。
一つは、実のなる木を書けというもの、、、実は、一度とある試験で受けたことがある、
その時は、ただの木だったはずだけど、適正検査のようなものの一環だった。


次のは、10枚ほどの絵を一枚ずつ見て、見えるものを答えるというもの。

色覚検査なんかで、何が見える?というような答えがあるものではなくて、

ただ、グチャっとしたものから、何となく見えるものを言うのだ。
結局、たったそれだけのことに1時間以上もかかった。


結果がどういう形の回答が来るのかわからないが、今まで遊びで受けた簡単な心理テストとは、
全く次元の違うもののように感じた、きっと詳細なものが出るのだろう。


正直、今ではもっと早く来なかったことを後悔している。
人に何かを話すことで気持ちがすっきりする、これは本当に最近になってわかったことで、
それで、普通は十二分に心が安心する。
しかし、コミュニケーションの問題に対して、今後どうして行くべきかということになると、
自分で考えるという方法以外に、友人や知人には中々頼み辛い、、、というか、
難しい問題なだけに負担はかけられないし、結局は、自分で決めるのだから、
あまり誰かに影響されすぎてもよくないのかもしれない。
やはり、根本的に良い方向に向けたいというのなら、プロに聞くのが早かったのだろう。
そんなことを、この2回の経験で思った。


ただ、自分自身で、これまでにどうにかしようとしてきているわけなのだが、
それが、無駄になったとは思わない。
そうしようとしてきたことで、できた友人もいるし、財産ともなりうる経験を積めたのも事実だから。
何事も飛び込んで見ないとわからんもんだし、その踏み出すまでの時間もまた大事なのだと、
今さらながらに思う。


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